★放浪虫(2011・神奈川)・目次

※一日目その7

2011年、9月27日。
大仏内への入り口、発見!

個人的に、
きっと大仏内は寺みたいな木造りで、寺みたいに梯子の成り腐した様なごっつ急な階段があって、其処をヒーコラヤーコラ上がるんだろうな。
…なんて想像していたのだが、まず入り口が自動ドアだった時点で俺の想像は敢え無く瓦解した。甚だ残念…でも無いな。


大仏内は土足厳禁という事で、入り口で手渡されたビニル袋に各々靴を放り込み、受付にて入場料(拝観料?)を払う。
そうして早速、内部に入…

係員『ああ、お客さん!内側から開くまでお待ちください!』

…れないのかよ!!伸ばした右手のやり場を無くして、俺、前のめりかよ!!

自動ドア『ム、ムムゥウィーン』

数分後、パワー不足なのか何なのか緩みきった駆動音と共にゆっくりと開き始める自動ドア。

係員『それでは、お待たせ致しました。コチラへどうぞー。』

係員が先に立って此方を先導し始める。
…え、何?案内付きなの?この大仏。要らん、要らんぞソレは!!参ったなー。面倒くさいなー。
などと思いながらも、まぁ仕方が無いので不承不承も後に続く俺。勿論、隊長さんはいつもニッコニコ。

…5歩くらい歩くと行き止まりに。先に進むための自動ドアらしきモノは在るのだが、またも開く気配一切無し。
四角四面の密閉された赤い絨毯敷きの部屋に立ち竦む隊長さんと俺、そして係員。閉まる入り口の自動ドア。

係員『暫く、お待ちください。』

そうして照明が落ち、部屋が真っ暗になった。


隊長さん『…』
俺『…』

突然、ホワァァァと赤や橙といった暖色系の照明にライトアップされる、未だ開かない自動ドア及び俺達。
橙の隊長に真っ赤な亮(赤いキツネに緑の狸的なアレで2)。何かおかしな気分になってきた。

そうして流れ始める音楽(こんな感じ)と、女性のアナウンス音声。

音声『…皆様、本日は、牛久大仏へ、ようこそ、御出で、くださいました。そもそも、この大仏は〜アータラコータラ〜極楽浄土での〜アータラコータラ〜を、表します、が〜』

…何よコレ。

係員は開かない自動ドアの隣で軽く頷きながら此方を見ている。ギヤマンの様なその双眸で、ただジッと、此方を。

…え、本当に何コレ。新興?
余りの胡散臭さ(失礼)に、尻の穴がムズムズして来た。よし!此処は一つ屁でもしてやろうか。

ス ー ← あろうことかすかしやがった!

(隊長さん臭かったのならソレは僕のせいですスミマセンでした笑)

そうこうしている内に有り難そげな自動音声もようやく流れ終えたらしく、自動ドアがまたも『ムリムウウィーン』と開き始める。
この大仏、もう何から何まで緩々である。

係員『此方の部屋は、向かって右手にあるのが人間の煩悩の数と同じプチ仏像と何か流れる業的なアレがワッショイワッショイな感じでハッピー!ソーハッピー!!!お客様ハッピー!!!(と振り上げた両手が"ぐわし")』

(余りの胡散臭さ(重々失礼)に書き手が悪ふざけしておりますが、まぁ大体こんな感じだったと思うので品質にはそれほど問題ありません。…あぁイヤイヤ!牛久大仏って最高!)

…そんな訳で(どんな訳だ)、また何かおかしな部屋に通される俺達。正直、もう帰りたくなってきている俺。

係員が言うように向かって右手の壁側には、多分流れる川の水を意識したのであろう安っぽいキラキラした化学繊維の布が天井から数方向へと垂らされ、その先にはそれぞれ小さな仏像が鎮座していた。
そうして、此処も勿論、暖色系の照明でライトアップされている。


係員『此方の中央に鎮座いたしております仏像がアータラコータラからの振り向きぐわし!!こっち向いて笑って照れないでぐわしぐわしぐわし!ワタシだけ知ってる良い顔でぐわし to me 〜♪』

(幾らなんでも、やり過ぎです。…あぁぁぁイヤイヤイヤイヤ牛久大仏エクセレントエーェクセレンツゥオ!!!グッジョブ!!!ね?だから怒らないでね?)

あーハイハイ中央に鎮座いたしております仏像のお陰で此方も霊験あらたか超特急!!

早いぞ早いぞ超特急!!

ワッショイ!
ワッショイ!!

超!

特!

急!!

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都内在住の男性ソロユニット『Serph』が世に示した形、内に内にと三日月を手でなぞる様にただ滑らかに引っ張られ凝縮されていく幻想電子音『Heartstrings』。

Serph/Heartstrings

明るい時は明るい世界を、暗い時には暗い世界を。

ややもすると音楽家が聴き手の嗜好に引っ張られた挙句、媚びと取られても仕方が無いような中身の全く無い音を世に出してしまう事が横行しているこの日本において、彼の音楽は…少なくともこの楽曲は、聴き手それぞれの状況状態に応じて様々な色や形に姿を変える…まさしく万華鏡のような楽曲であると思う。

音楽、音、そう言った物を"理解出来る"とか"理解出来ない"とか、其処がまず過っているのでは無いか。
そもそも理解するような物では端から無かったのかも知れない。

つまり最初から最後まで、音とは感じるモノでしかなかったのでは無いだろうか。

耳より内へと流れてくる音を触媒に、ただ目を瞑り、心を閉じ、浮かぶビジョンを遊ばせる…そう言ったモノでしか無いのではないか。

そのビジョンを良く感じる、悪く感じる…好きか嫌いか有りや無しや。ただそれだけのモノなのではないか。

−貴方には、彼の投げた『Heartstrings』という"形"が、どういった風に見えましたか?
−良しにつけ悪しにつけ、其処まで行って音は音楽になるのだろうと、俺は思うのです。
−分かる分からない、では無いんですよ?質問に対しての答え、貴方の答え。ただそれだけなのです。

こういった曲を聴く度に、其処を再認識させられる。
音楽を完成させるのは、例外なく聴き手であるのだ。

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…時は流れ、数分後。←面倒になって流した

係員『はい、それでは後はもうお前ら好きに進め。散ッ!』

中央の何か有り難そげな大仏を拝んだ所で突然放り出される二人。
この急展開には些か驚くも、そもそも案内自体余計なお世話ノーセンキュだった訳で、そこは有り難くさっさと歩を進める事にする。

監視の目も無くなったので早速、世界一大きいとされる大仏の胎内をパチリ。
…ホラね?緩いでしょ?笑