★放浪虫(2011・神奈川)・目次

※三日目その7

2011年、9月29日。

美味い洋食定食に思い切り舌鼓を打った後は、ワンさんと様々な話をしながら食後の珈琲を十分に楽しんだ。
そうして、いつしか時計の針が午後1時前を刻む。


店を後に、再度秋葉原の街へと出た俺達は、それぞれ俺はワンさんを見送りがてら、ワンさんは危なっかしい田舎者を案内しがてら、行きとは少し違った道を通り秋葉原駅へと向かう。

しかしながら何だ、これまでの旅で都内も結構歩き回ってきたが、それにしてもアレだ。
いや尤も都内に限った話ではなく、住み慣れた土地以外の全ての所に言えるといえば言えるのだが、兎にも角にも見知らぬ土地と言うのは一々その景観が、もっと言えばその雰囲気までをも含めた在り方そのものが、ことごとく面白い。

コレなんかもそうだ、このデジカメのデータの中に何故か存在していたこの一枚。ね、この一枚。何が目的で撮ったのかいまいち分からないこの一枚。

何が目的…。

…(いま、画像を必死に眺めております)

…うん。

秋葉原駅から神田駅までは600メートルだそうだ。ホラ面白い!

ホラ面白い!ホラおもし、面白…。

面白いのか貴様コレが!!何が!?笑うな!!(落ち着け)

…はい。

例えば終始こんな感じで旅をするのもまた、ね、また乙ってモノなのでは無いのであろうか?(知るか)

そんなこんなで、適当に写真なんぞ撮りながらワンさんとぶらぶら歩き、数分後には秋葉原駅の改札口の一つ『電気街口』の南側へと到着した。

ワンさん『ホラ、こっち側がね、丁度ここから向こうに掛けて亮さんの期待している秋葉原ですよ笑』

俺『お、おおおー…』

何て言うか、思わず唖然としてしまった。駅を挟んであっちとこっちで、こんなにも雰囲気が違うものなのだろうか。

言ってみれば此処はそう…異文化圏だ。どうにも文化自体が違う、秋葉原は何と外国であったのだ!秋バハマだ!(違います)
遠い昔に長崎のハウステンボスに行った時に感じたモノと似た一種のカルチャーショックに軽い眩暈を覚えつつも、その街並みの興味深さから色々と観察してみる。

至る所で目に付く、萌えアニメらしき絵の描かれた看板、ポスター、チラシを配っている風俗嬢にしか見えないメイド。

この、タガの外れた明け透け過ぎる有様は…コレは想像以上だった。

単純にアニメが好きな人たちの街とか、AKBだのが好きな人たちの街とか、そういう程度のモノを想像していたが、コレは全くの認識不足である。

主に一般的な日本の社会通念上からは対角に居ると言って良いほど物凄く捻くれて歪つながらも、(この街の中にあってのみ、限定での話ではあるだろうが)その視線はただ真っ直ぐに(主に性)欲をのみ追い求める潔さすら感じる人々によって形成された、この街。
コレは何て言うかアレだ、全裸に『オナニー大好き!』て幟を背負って仁王立ちでチンチン扱く様な…しかも剣道の竹刀の柄を握るように両手でしっかりと扱きあげる、そんな潔さ。

そうか、秋葉原は変態だ!(褒めてます)

変態さんだったのだ!(その証拠に今度はさん付けです)

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去る2013年10月13日に逝去されました、やなせたかし大先生のご冥福を心よりお祈りいたします。

俺が歳の離れた下の妹の子守をしながら一番観たアニメがアンパンマンでした。
やなせたかし大先生(今日だけはこう呼ばせていただきます。現在の高知県人の中で、家族以外では一番尊敬していた方でした。)の名言を此処で幾つか紹介させていただき、大先生を偲びたいと思います。

『食べられないというのは、物凄くきついですよ。飢えれば人肉だって食べようという気持ちになるんだから。』

『正義の為の戦いなんてどこにもないのだ。正義は或る日突然逆転する。正義は信じがたい。』

大先生が戦争に行ってた時に感じたことだそうです。
他にも色々と思いはあったみたいですが、俺にはこの二つの気持ちがアンパンマンを強く形作ってると思われました。

思えばドラえもんにしてもサザエさんにしても、原作者が製作に携わっている時には物凄く身につまされるような、時には教訓だったり、時には慰めだったり、そういったものを感じたものでした。
が、しかしながら原作者の意図や意思から外れた瞬間、両作品共にとても下品で上っ面だけの、子供向けではなく"子供だまし"な作品となってしまいました。

結局、其処には説得力が足りなかったんだろうなぁ、と。
食べるのに、生きていくのに苦労をしていない中からの"想像"でしか、"こうだったらいいのに"が生み出せなかったんだろうなぁと…そりゃそうですよね、経験してなければ想像するしかないですから。
貧しさを想像するしかない人と、経験として貧しさを知っている人、その差が物語の説得力に現れてしまったのでしょう。
良くも悪くも、物語を作るのは何時だって人の想いであり、その想いを形成する為に一番の力になるのは実体験に基づく経験なのかも知れません。

今、大先生の言葉を目の当たりにそんなことを思いました。

そして大先生は、アンパンマンを世界最弱のヒーローであると、ことある毎に言ってました。

『困っている人、飢えている人に食べ物を差し出す行為は、立場が変わっても国が違っても「正しいこと」には変わりません。絶対的な正義なのです。』

大先生の言う正義、それは実に簡単な事で、しかして実際に実行するとなると二の足を踏んでしまう人が多い、そんな行いを指していました。

大震災の時、俺もその身で実感しました。

普段から耳触りの良い綺麗事を言っていた、ほんの身近に居たと思っていた人たちが、いざ一切れのパンを欲している人たちが溢れた時に、あろうことかほんの少し"自分の身を千切り他人に分け与える行為"を拒否し、あろうことか馬鹿にし、目を背け耳を塞いだあの状況を、未だに忘れる事が出来ません。許す事が出来ません。
前述した大先生の『正義の為の戦いなんてどこにもないのだ。正義は或る日突然逆転する。正義は信じがたい。』を痛切に実感させられた瞬間でした。

『怪獣を倒すスーパーヒーローではなく、怪獣との闘いで壊された街を復元しようと立ちあがる普通の人々がヒーローであり、正義なのです。』

大先生が戦中に感じたであろう"信じられない他人の正義"よりも、アンパンマンで正義だとしたのが此処でした。
この絶対的な正義を、言うは易しするは難しな行為を、それは敵を倒すよりもずっと大切なことだと訴えてきたのが"世界最弱のヒーロー"アンパンマンなのです。

『逆転しない正義とは献身と愛だ。それも決して大げさなことではなく、眼の前で餓死しそうな人がいるとすれば、その人に一片のパンを与えること。』

くどくなるので重ねては言いませんが、此処をこそ俺は自身の美徳ともしていきたいなと思うのです。

コレは綺麗事では無いんですよ。飢えってね、本当にきついんです。
何も自分の食料を全て分け与えろなんて話では無い、ただほんの少しでもシェア出来れば、それで飢えてる目の前の人が救われるなら、少しくらい我慢できるかな…そう思えるくらいに、本当に惨めなんですよ。

俺は実感として、やはりアンパンマンはヒーローだと思うのです。

そんな大先生の描いた、元は絵本だったアンパンマン。ヒットしたのは実はもう大先生が60を回った頃でした。
自分の頭を千切って与えるというエグい描写に、また空腹の人間の飢えを満たすという地味な"正義"…ヒットするには余りにスター性に欠けていたのでしょう。

その売れるまでの辛かった評価されない時期を思えばこそ、大先生の含蓄ある様々な言葉も世に出てきたのでしょう。

『アンパンマンのテーマソングは「なんのために生まれて、なんのために生きるのか」というのですが、実はぼくはずいぶん長い間、自分がなんのために生まれたのかよくわからなくて、闇夜の迷路をさまよっていました。』

そして、またこうも言っています。

『もっと若い時に世に出たかった。ただし遅く出てきた人というのは、いきなりは駄目にならない。こんなことしてていいのかと思っていたことが、今みんな役に立ってる。無駄なことは一つもないですね。』

あの人は、爆発的に売れたからといって人間が腐ることも無く、例えば財政難で喘いでいる高知県に代わり漫画甲子園の賞金を自腹で出してくれたり…でも、それは決して上から目線での驕った自己満足ではなく、これまでの経験から来る大先生なりの優しさであり正義だったのだろうなと、今になり特にそう思うのです。

俺は高校1年の時に、仲間達と共にヤンキー高校で有名だった母校に漫画研究部を立ち上げました。漫画家になりたかったので笑
そうして、当時の高校三年である生徒会と交渉して部費を勝ち取ったり、顧問の先生を探したり、まぁ色々としてきた訳です。

そうして、そんな漫画研究部が目指していたのが『漫画甲子園』という毎年夏に高知で開催される、その名の通り"高校ペン児(て言うのよ、こっちではよ笑)"たちの大会でした。

結果的には県予選も通過出来ない弱小っぷりでしたが笑、大先生はいつもその大会の審査委員長を務めていて、結果的に大先生の話も耳にする機会が割とありました。
本大会に出場できなかった俺は宛がわれたブースで自分の絵を売り、その日の晩のスキヤキパーティの為のお金を稼いだりしていたので、あまり真面目には聞いていませんでしたが笑

大先生は、兎に角、自分のことよりも、いや、てか自分のこととしてと言った方が適当なのかも知れませんが、後進たる若手、若者を気遣ってくれていたように思います。

『アンパンマンは"世界最弱"のヒーロー。ちょっと汚れたり、雨にぬれただけでも、ジャムおじさんに助けを求める。でも、いざというときには、自分の顔をちぎって食べてもらう。そして戦います。それは私たちも同じ。みんな弱いけれど、そうせずにはいられないときもあるのです。』

思えばコレは、やなせたかし大先生自身でもあったのでしょう。
だからこそ、アンパンマンはこんなに長く子供達に愛され、また当時子供であった俺みたいなウンコにも愛され笑、そうしてコレからもまた、新しい世代たちの一つのヒーローの指針として愛されていくのだろうと思います。

『一瞬を一生懸命生きるということと、目の前にいる人を喜ばせる。毎日、それをやっていきます。それしかありませんね。きっと、これからも。』

大先生の、そんな94年という人生。
若輩ながらも同じ高知県民として、人として、非常に勉強させていただきました。
本当に有り難う御座いました。

そうだ、嬉しいんだ
生きる喜び
例え、胸の傷が痛んでも

何の為に生まれて
何をして生きるのか
答えられないなんて
そんなのは嫌だ!

今を生きることで
熱い心、燃える
だから君は行くんだ
微笑んで

そうだ、嬉しいんだ
生きる喜び
例え胸の傷が痛んでも

ああアンパンマン、優しい君は
行け!皆の夢、守る為

何が君の幸せ
何をして喜ぶ
分からないまま終わる
そんなのは嫌だ!

忘れないで夢を
零さないで涙
だから君は飛ぶんだ
何処までも

そうだ、恐れないで
皆の為に
愛と勇気だけが、友達さ

ああアンパンマン、優しい君は
いけ!皆の夢、守る為

時は早く過ぎる
光る星は消える
だから君は行くんだ
微笑んで

そうだ、嬉しいんだ
生きる喜び
例え、どんな敵が相手でも

ああアンパンマン、優しい君は
行け!皆の夢、守る為

ドリーミング/アンパンマンのマーチ

『そうだ、嬉しいんだ、生きる喜び』

60を過ぎてようやく日の目を見、それでもこの歌詞を書ける貴方の強さ。優しさ。しなやかさ。

貴方に教えてもらったこの素晴らしい思いと共に、俺はコレからも生きる喜びを謳歌していきます。

本当に、有り難う御座いました。お疲れ様でした。
貴方は間違いなく、坂本竜馬に並んで、高知の誇る偉人です。

後は俺達に任せて、どうか、ゆっくりとお休みください。

※補足
今回のムジクは、先生の死を受けて俺が自サイトである『彼岸花』の掲示板に書いた自身のコメントを軽く加筆修正した上で転載いたしました。
このコメントを以って、先生の作詞した『アンパンマンのマーチ』という曲の紹介ともさせていただきます。

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ワンさん『それでは亮さん、俺はこの辺で事務所に戻りますんで。まだ東京タワーとかにも行くんですよね?どうぞお気をつけて!』

俺『いや本当に有り難う御座いました!またどうぞ宜しくお願いs』

…(SPECIAL OTHERS/Wait for The Sun)※携帯の着信音

また、この展開かよ畜生め。電話を掛けてきたのは…、加工品を出品してる餅屋だ。

気を利かして、じゃコレで!と軽く手を上げながら去ってゆくワンさんに、最後までこんな感じで本当にスミマセンお世話になりました、とばかりに頭を下げ、その後姿を見送りながら電話に出る。

この時の電話の内容は、確か米トレーサビリティ法の施行によって色々と提出して貰わないといけない書類が増えた事による質問などだったように記憶しているが、その辺に関しては此処をご覧の皆さんには何の関係も無いであろう上に、もちろん面白い話でも何でも無いので割愛。

兎に角、そんな話をしながら歩道の縁石の成り臭しみたいなモノに腰を掛け、ふと眼前に建っていたビルに目をやった。

…(4F、ローション、コンドーム、ラブコスメ、メンズサポート)※電話で米トレ法の説明をしつつ、目に入った英単語を何気なく読んでいます

…(3F、ローター、バイブレーター、エスエムグッズ、アナルグッズ)※同上

…(2F、オナホール、ダッチ…ダッチ、オナホール…ダッチ…?)※ようやく何事か理解し始めました

…。

ヘイ!ダッチ!って貴様アレか此処はオランダ人売り場か何かか!?
いやいやいや!そりゃ分かるよ分かってるわ何屋か何てのは分かってるんだけれどもね、オイね貴様ね其処はダッチワイフって書けやダッチで切るなやオランダ人売り場やないかそんなもん!

ダッチ裕三か!(黙れ)

てかよ、てか、ちょ待ち!

俺『…まぁ色々とご面倒をお掛けしますけど、ご協力お願いします。ええ、ほな、まぁスンマセンほんなら、はい。はいー…』

…ピッ(電話を切った)

てかよ、てか、ちょ待ち!(仕切りなおし)

何だこのビル、オナホール売り場なんざ初めて見たわ!!エロ界のタワーレコードさながらか!
上から4F、3F、2Fてオマエ、オマエこれアレや、エッ、エロのヒエラルキーやでぇ、やでぇ、やでぇ…(ヒコマロ・エコー)

ちっ畜生!!
高知なんかな、高知なんかな!
大人の玩具と言えばピンク堂やぞバカヤロウ!!小汚い八畳くらいの店やぞバカヤロウ!!
くすんだ硝子のショーウィンドウにインディアンバイブと色褪せた昔ながらのピンクスライムに穴を開けただけの様なオナホールの箱、そしてレースの下着が無造作にディスプレイされてるピンク堂をなめんなよバカヤロウ!!

恐るべし、秋葉原