さて、神奈川旅行記もようやく終わり、本日(2011.7.26)より平常記事となります笑


平常という事でね、口調というか文調?も普段の『砕けたdeath-mass調』に戻します。
あー書き易い笑

まぁ平常記事といっても何分一年ぶり位のモンで笑、何を書いて良いのかいまいちヴィジョンも浮かばない訳なんですけども、どうしましょうかね。

いや、てか本当はこんな糞ツマラネェ書きモノなんざは労力の無駄なので神奈川旅行記が終わり次第辞める気満々ですらあったんですよ。

大体、俺はフォアグラ農家では無いんです。口あけて餌貰うだけのガチョウ共に日がな一日餌をやり続けるだけ、なんてのはまっぴら御免じゃあないですか。
それでもフォアグラ農家なら後々肥え太ったガチョウの肝臓を売り捌いてホッコリ出来る訳ですがね、最近のこの界隈と言ったらそれすら期待薄というね、もうね…はぁ、どうしたもんだか全く笑

ま、書きモノ自体は嫌いでも無いので、何だかんだ言いつつ今もこうやって書いている訳ではありますけど笑

さて、そんな訳でムジクを今後どうしてゆくかは一旦置いといて、今回は丁度『彼岸花』の方で、

-*-*-*-*-*-*-

●イメージの話の続き
●『法律的解釈、見地』を理解(共感じゃねぇぞ、あくまで理解だぞ)出来ないヤツは何処まで行っても自分主体の主観的な考え方しか出来ない一事が万事な話
●広島旅行記
●『どんな人間とも分かりあえる』という考え方は、実は物凄く身勝手で傲慢な考え方なのではないかと幼い頃から感じていた話

このどれかを、数ある日記場の何処かに書いてみようかな、という話。

-*-*-*-*-*-*-

という書き込みをしていた所、北の女流お笑い論客さんから『書けよ。』というGOサインを頂きましたんでね、ちょっと書いてみますね笑
彼女には凄く面白い日記でかなりお世話になってもいますし、こういうのが正しいフィフティフィフティだと思うが故に!…いや、まぁ、俺の方はフィフティフィフティと言える程の価値も無いんですけどー、エビでタイ釣るみたいなアレでー、一つ宜しくお願い致します。

で、何を書こうかといざ考えてみた所、上から順を追ってまず『イメージの話の続き』ですが、これは実はもう既に秘密日記に多少の用意を済ませてあるので、向こうに書きます。養老某団の日記で変な事を言わなきゃ良かった、言わなきゃ良かったんだけど、まぁねー、言っちゃったものは仕方がないので三人くらいしか読めない記事となります悪しからず笑

次に『法律的解釈、見地云々』に関しては、頭の中でまだ構成が上手い具合に出来あがって無いので、また今度…というか、コレはどうなのかなぁ。
酒の席とかで実際に話すとなると、聞いてる人に合わせた表現の仕方で今でも結構上手く説明する自信はあるんですけど、こういったピンキリ見てるネット上のアレに書くとなると一抹の不安が無きにしも非ず笑

『広島旅行記』に関しては、未だに悩んでます。3月12日から二泊三日の旅行ですからね。
此処に書くとなれば、俺も一端のお笑い投稿人ではありますし出来る限り笑いを誘える文章なんかを交えて書きたい、書きたいんだけど正直、実際の旅行中にはずっと震災の事が頭にあってコレがまぁ中々…、といったようなジレンマに縛られて、イマイチ踏ん切りがつかないんですよ。

そんな訳で、まずは最後の、

●『どんな人間とも分かりあえる』という考え方は、実は物凄く身勝手で傲慢な考え方なのではないかと幼い頃から感じていた話

について書いてゆく事に決定致しました!ドンドンパンドンドンパン(略)ロッキュー

-*-*-*-*-*-*-
The Last Electro-Acoustic Space Jazz & Percussion Ensemble/Derf

平常記事に戻ってのムジク一発目はコチラ、『The Last Electro-Acoustic Space Jazz & Percussion Ensemble』より『Derf』の紹介です。
因みに、タイトルではアーティスト名が長過ぎて曲名が切れてしまいますので、"&P"と省略させて頂いてます笑

アメリカのミュージシャンであり、音楽プロデューサーでもある『Madlib』のジャズプロジェクトである『Yesterdays New Quintet』、この延長線上にある活動こそが『The Last Electro-Acoustic Space Jazz & Percussion Ensemble』という事です。勿論、wiki様より情報です。
ぶっちゃけね、こんなもん知らなくても曲を楽しむ上では全く問題ねぇ訳で御座います笑

このアーティストとは、本部長と『(通販サイトの)アマゾンお勧めサーフィン』に興じていた時に出会ったのですが、もう少し聴いただけでこの魅力に駄々ハマりしましてね。このカオスさ、というか奔放な曲調に一発でやられたのです笑

-*-*-*-*-*-*-

では、早速今回の俺論こと改めてコチラ、

『どんな人間とも分かりあえる』という考え方は、実は物凄く身勝手で傲慢な考え方なのではないかと幼い頃から感じていた話

について話をしてゆきたいと思います。
まずですね、『どんな人間とも分かりあえる』という考え方についてですが、こういう事を臆面なくのたまう人は大きく分けて二種類に分類できると思うんです。というか、少なくとも俺はこの"二種類"としか出会った事が有りません。

それぞれを具体的に説明すると、つまり、

説得力のある根拠は一切無しに『同じ人間だもの。物事の考え方が違うだけに留まらず、人種、文化、言語体系等が違っていたとしても、言葉を尽くし誠心誠意お付き合いすれば絶対に分かりあえる筈だ。』というね、これはもう視野が非常に狭いとしか言いようがない至極残念な人と、

逆に自分自身がこれまで様々な自分の経験に基づいた根拠の元に『これまで分かりあえたんだから、これからも分かりあえる筈だ』と感じている人のね、

この二種類です。

宗教系の人や、勘違いした学校の教師なんぞは大体前述の方に当てはまりますね笑
で、後述の人は自分の経験に基づいての事でありますので、一見言ってる事は同じようでも『どんな人間とも』は分かりあえないよねってのは自覚してたりするんです。"実際、分かりあえなかった"という経験を基にね。
ですが、その上でね、それでも敢えて『どんな人間とも分かりあえる』という体でいる訳です。一種の希望的観測ってヤツです。

さて、其処を踏まえた上で説明していこうと思うのですが、まず、分かりあうってどういう事を指す言葉だと思います?
お互いにお互いの事を理解し合う、という事ですよね多分。

相手の事を理解し、また相手に自分の事を理解してもらう訳です。
つまり、『どんな人間とも分かりあえる』という人は、どんな人間の事も私は理解出来るよと言ってるも同じなのです。

ホラ、何と傲慢な人でしょう!!もうこの時点で身勝手かつ傲慢極まりないじゃないですか。お前は神か笑
勿論ね、分かりあう努力ってのはそれはもう本当に必要な事だと思います。此処を放棄した人間はね、ゴミクズですよ。いや、"それでも人間"って時点ではゴミクズ未満ですよね。本当の意味でのゴミクズは、権利も主張しないし燃やして埋めても全然大丈夫ですからね笑

要は『どんな人間とも分かりあえるよう努力したい』…ね?コレなら傲慢じゃないんですよ、コレが謙虚な人間の在り方ですよ。
理想は理想として据えて、でも現実はそういうもんではないと言う"真摯で主観に縛られないフラットな判断力"を持ち合わせている人間ってのはね、"こう"なんだと思います。

ま、選民主義者である俺としては、全く全然そんな謙虚な事を言うつもりは端から無いんですけどね笑

さて、此処でちょっと昔話をしてみましょうか。

俺は昔から、俺にとっての"教師"という立場の人間がもう本当に嫌いでした。
というのも、『所詮この年端もいかぬガキ共相手にすらその程度の事しか言えない癖に、偉そうに俺の歩む道にこうだああだと口出してくるんじゃねぇよ』ってのが凄く有ったんですよ。
確か中学に入った辺りからかな…ま、其処に行き着く下地は小学校や保育園時代に"異質、異形だというだけで怒鳴り散らし叱りつける対象とする様な、そんな人間の屑どもから受けた不条理に対する反骨心"として培われてたんですけどね笑

コチラとしては、その頃から両親も、教師も、他の様々な大人たち全てについて、その人間の社会的また俺に対しての肩書きがどうであれね、"それ"以前に"同じ人間"なんです。
それなのに、嗚呼それなのに、あの教師だとかいうような連中は基本"子供だから≠若いから"という理由だけで人を『だから分かっていない、だから教えてあげなければならない』と決めつけ、そうして見下して、さも恩着せがましく『周りと一寸の狂いも無い様に』整形してやろう整形してやろう、と来るわけですよ。
明らかに"自分は優れている"、と勘違いしているんですね。俺より早く生まれたってだけの癖にね笑

勿論、好きだった教師も5人くらい居ます。
居はするんですが、その内二人は教職を持っていない県からの出向職員でしたし、残り三人の内の一人は人間関係に疲れ果てて聾、盲、養護といった特別支援学校に転勤希望を出し続け、もう一人は同じような理由から…かどうかは詳しくは知りませんが、首を吊っちゃいました。
子供とちゃんと向き合ってくれる、本当の意味で教師が教師たる"資質"を持った人の方が生き残れないなんてね、世の中クズばっかりですよね。
あ、因みに後の一人は剣道の恩師でもありましたんでね、強く逞しく戦い抜いたそうです笑

さて、俺の学生時代の圧倒的多数を占める嫌いな方の教師からね、言われた訳なんですよ。
『言葉を尽くせばどんな人間とも分かりあえるのに、それなのにどうしてお前はそうなんだ』なんて、割と色んな教師から言われましたね。その"お"貴重な"お"説教の"お"時間に笑

でも、そういう事を言っている教師どもがね、まず分かりあおうとしていないんですよ。
コチラと同じ目線に立とうとするどころか、まず『自分は教師だ、お前はガキだ』という立ち位置から絶対に降りてこない訳ですから。自分の立場を"絶対的な権利"であると勘違いしちゃってたんでしょうねぇ。
自分で自分の視野を著しく狭めてしまう事になるその勘違いも、今思えば可哀想な話であります。

…凄いですね、何でしょうかね、このいつにも増して酷い脱線っぷりは笑

いや、まぁ友人の嫁さんも教師をしているんですが、その場合は話は全然別ですよ?
だって、俺にとっては教師じゃないですからね。要はですね、"俺にとって教師だった"ヤツ等はゴミクズばかりでしたって話ですから。
別に俺の知らない"教師"までに言及している訳ではないので、というか、そんな無駄な労力はそれこそ使うつもりも毛頭ないのでね、そこは誤解しないで下さい笑

何か今回の話は愚痴っぽくて尚一層、面白くないですねー。もうちゃっちゃとまとめに入っちゃいましょうか、ね?笑

要はですね、『どんな人間とも分かりあえる』という言葉の意味を、一度正しく考えてみませんか?って話なんですよ。

この言葉に限らないんですけど、自分の言ってる事が"どういう事を意味しているのか"をちゃんと理解していない人が多過ぎると思うんですね。この界隈であろうとなかろうと、兎に角そういう人が多過ぎるんです。
で、そういう人の特徴として、本当に唖然とする程に、それはもう咋過ぎる程に『自分の事は棚上げ』してるんですよ。

ネット…というか、この界隈で限定しても、もうね、ついさっき自分で言った事をその次のタイミングでは自分で"知らず知らずの内に"否定しているようなね、そんな日記やブログがそこかしこに転がってますから。
矛盾とは言いませんよ、人間って多かれ少なかれそういうモノなんで。ただね、余りにも浅はか、余りにも考えが無さ過ぎるんじゃないかと思う訳です。

これは"誰かを責める"とか、そういうつもりでの話では無いんですよ。そんな糞下らない話では無いんです。

いや、まぁ、ちょっと恨み事も書いてますけれども笑、少なくともね、個人を攻撃する様なつもりで書いてる訳ではないんです。
ただ、この記事を読んだ人は一度、我が身を振り返ってみるのも良いかもしれませんよって話であり、そうして、"そういう事"がどれだけ恥ずかしい事か知れ、という話です笑

先にもチラッと述べましたけど、『どんな人間とも分かりあえる』という言葉の意味って本当に分かってますか?

コレは『自分はどんな人間の事でも理解できるよ』って意味であり、それはつまり…かなり乱暴な例ではありますけど、ノルウェーで銃乱射事件を起こした犯人の事ですら理解出来るって言ってるんですよね。
しかも、その犯人に"自分の事"も理解して貰える事が"自分なら可能だ"って意味でもあるんですよ。そういう"言葉"なんです。

まぁね、まぁ確かにこれは物凄く乱暴な、極端な例です。
ですが、例えば自分の周りにいる人間を軽くで良いんで頭に思い浮かべてみて下さい。

大切な人、尊敬できる人、好きな人、嫌いな人、苦手な人、色々思い浮かぶと思います。例えば其処で、自分としてはもう本当に軽蔑する様な人間を思い浮かべてみましょう。
その人に共感、出来ますか?出来ませんよね、出来るのなら軽蔑する対象にはまずならないでしょうから。
要はそういう事なんですよ。ノルウェーのあの事件を起こした犯人で無くとも、ね。

人間皆平等、とかって言葉にも通ずる事なんですけど、結局ね、人間って"自分より劣ってる"と"自分が"…あ、コレはあくまで"自分が"ですよ?"社会的に"、とかでは無いですよ?
此処は勘違いしないで欲しいんですけど、まぁ兎に角ね、人間は、"自分が""自分より劣ってる"と思っている人間と同列には捉えられたくないし、何より自分自身"そう思えない"生き物なんですよ。

貴方が軽蔑している人と貴方自身が、他人から"全く同じ"、"全く平等に、同列に扱われる"として、それに耐えられますか?…いや、口では何とでも言えるでしょう。
しかし、貴方はね、少なくとも此処を見ているほぼ100%の"貴方"はね、絶対に不機嫌になります。一緒にしないでくれ、と。これは断言出来ますね。

実際、この界隈でも俺自身が"憎まれ役"となって色々と"実験"してきた上での結論なので、此処は断言します。色々見てきた上での"体験談"ですから笑

ま、兎に角。

そんな生き物がね、平等とか、また分かりあえるとかね、そういう事を胸を張って言える事自体、これはもう凄い事な訳です。
その人は多分、本物の…それはもうキリストと並ぶ程の聖人か、ただの視野狭窄に陥った幸せバブルな"傍から見れば凄く可哀想な人"のどちらかな訳ですよね。ま、圧倒的に後者の方が多いと思いますけど笑
で、その"後者"はですね、大体どんな時でも"日本的な考えの元に言う社会的善"の立ち位置に居る体で、物凄く傲慢に『どんな人間とも分かりあえる』的な事をのたまうんです。
これね、"日本的な考えの元に言う社会的善"ていうのが味噌でね、"そういう人達"って自分が無いんですよ。あくまで"声が大きい"だけの"日本的な考えの元に言う社会的善"て他人のフィルターに依存してモノを言ってるんですよね、もう徹頭徹尾"自分の意見だ!"と。個人的にはコレほど恥ずかしい事は無いと思うんですけど、まぁ気付いてないから仕方がないんでしょうね笑

貴方はそんなアレなアレと同じには成りたくないでしょう?なら、一度我が身を"真剣に"振り返ってみませんか。世の中をね、自分の生きる世界を、そうして"その世界で生きている自分"という事の"意味"をね、もう少し"客観的に"考えてみませんか。立体的にね。

ま、グダグダと色々書いてきましたが、要はですね、俺は、俺自身の体験としてこれまでの30余年間、ただの一人も"俺の事を理解してくれる"人には出会っていないと言い切れますし、そもそも人間というモノは生まれてから死ぬまで"そういうモノ"だとも言い切れますから、だからこそ、他人の事が分かってあげられるなんて上から目線自体が"傲慢"だと断じている、という話で御座います笑

此処をご覧の皆さんには、例えばご結婚されて子供が居る方も居るでしょうし、また何よりも大切な"恋人"がいる方も居るでしょう。だからこそ、俺は言いたいんですよ。
"私は恋人、家族、親友諸々大切な存在の事が分かってあげられている"なんて傲慢極まりない勘違いをしない様に、とね。
それこそが、その"傲慢"こそが、きっと追々貴方の人生に暗い影を落とす事になりますよ。
特に子を持つ親の方は、子供より自分の方が"優れている"と勘違いしがちですが、絶対にそれはダメですよ。子供はね、そういう空気に凄く敏感ですから。子供を愛しているなら、まず"対等である事"。まずは其処からです。
親も、子供も、どちらも"探り探り"なんです。そこには、そこからの"人間関係の構築"には血の繋がりなんて何の意味も持たないんです。貴方が子供の事が分からない様に子供も貴方の事が分からない、それがデフォルト。だからこそ言葉を交わし、心を通わせる必要があるんです。

何の事は無い、単純な話ではあるんですよ。子でも親でも無い、兎に角人間同士の話なのですから、"愛されたいのなら、まず愛する事"と言う事なんです。

そして、自分は人間であるが故に他人の事を理解出来ない、だからこそ少しでも理解するように努力するんだという謙虚さこそがですね、その秘訣…あー、いや、後は言わなくても分かりますよね?もうくどい上に糞野暮なので敢えて皆までは言いません笑

以上、俺論つまりの地虫論が一、

●『どんな人間とも分かりあえる』という考え方は、実は物凄く身勝手で傲慢な考え方なのではないかと幼い頃から感じていた話

で、御座いました。お粗末。