例えば。


良い大人がですよね、例えばママに毎日ご飯を作って貰って、ママに洗って貰った下着を穿いて、『俺は私はしっかりした大人』なんて顔して外では澄ましているんです。
そうして人によっては、発情期の猿みたいにセックスや恋愛ばっかりだったり、パチンコや競馬ばっかりだったり…ママに洗って貰った『勝負パンツ』を穿いてね、頑張っているんでしょうか笑

俺、そういうのがもう絶対にダメなんですよ。
想像するだけで恥ずかしくて情けなくて、もうダメ。
男だとか女だとか関係無くて、人としてどうなのだろうって。

でも、ネットで色々と見ているとそういう『自分の状況』を棚上げして、まぁそれだけなら全然良いんですけど挙句に周りに平気で文句言ったり、『もう恥も外聞もねぇな』って感じの人が凄く多いように思えます。

何て言うのかなぁ、まぁ別にそこは人それぞれというか、それこそ人の数と同じ数のコミュニティが存在している訳で、そのコミュニティ毎にまぁ色々とあるのでしょうから、俺がどうこう言うような話でも無いんですけどね。

ただね、皆大なり小なり『他人に生かされてる』という事実を忘れずに謙虚さを持って毎日を生きる様にしないと、多分、遠い将来か近い将来かは分からないですけど、物理的精神的…様々な形でいつか自分に返ってきますよ。のし付きで。

…いや、もう返って来ている人が居るんじゃないかな?此処をご覧の人にも。

その状況をですね、四文字で言い表すと『因果応報』って言うんです笑
此処最近は30回ってても因果応報の言葉の意味すらちゃんと分かっていない人間がいますけど、良いですか?
因果応報って言うのは、つまり『要因(原因)があるから結果がある』という事でして、別に悪い事だけを指している言葉では無いんですよ。

こうやっていうと外的な事や物理的な事で想像しがちなんですけど、俺個人としてはコレは至極内的、精神的な部分での意味が強いのではと思うんですね。

『自分の事を包み隠さず知る事が出来るのは自分だけ』ですから、幾ら外身を取り繕って上手く立ちまわった所で、例えば『悪因悪果』で言うと、罪悪感や劣等感などに囚われる様な行動を繰り返していたら結局は自分で自分の心に重責を科してしまい、結果的には『何をしても上手くいかない』『何をやっていても満たされない』状況に陥ってしまう…勿論『善因善果』も然りな訳で、要はそういうのをひっくるめて『自因自果』なのでは無いのでしょうか。

勿論、『人を殴ったら殴り返された』っていうのも因果応報では有るんでしょうけど笑

自分に対する他人の反応は、自分を取り巻く現状は、即ちこれまでの『自分』を映す鏡だと思います。
冒頭で述べた様にママだったりパパだったり嫁だったり旦那だったりといった存在に全てをやって貰ってる人は、例えばたまには家事を手伝うとか、感謝の気持ちを伝えるとか、してみては如何でしょうか?

その行為はね、絶対に自分にとってプラスになると思いますよ。
少なくとも、日本は他の国に比べて『それぐらいには』平和な国では有りますからね笑

そんな事を、『自分自身に対して』の啓発的意味も込めて書きつつ、今日7月23日に紹介する7月13日分楽曲はこちらです笑

SPITZ/アパート

結局、『1ムジクで一番紹介する』とか抜かしながらコレで2曲目ではありますが笑、『SPITZ』より『アパート』です。

この曲、当時のスピッツではちょっと珍しい曲なんですよねぇ。
あ、この曲は3rdアルバム盤『惑星のかけら』に収録されていたんですが、その頃の彼らの楽曲にしては『歌詞の意味がちゃんと分かる』のです笑

初期のスピッツは、『スピッツ語』と言っても良い位に歌詞が独自性に溢れていまして、それこそ1stアルバム盤に収録されていた曲なんて軒並み意味が分からない言葉の羅列(勿論、そこがまたとても良かった)だったんですけど笑、この辺からは結構、歌詞が『一般的な文章として』意味を為しているんです。

特にこのアパートという曲は、ストーリーがしっかりしていると言うか…このヒリヒリした『誰もが通り過ぎるであろう青春時代の未熟な恋愛』感が、何か良いんですよねぇ。

まぁ、俺にとってのスピッツはそれこそ『命の恩人』といっても良い様なアーティストでありますので、ちょっと別格なんです。
他の有象無象なアーティストがこう言った曲を歌っていても、全く琴線には触れないのですが笑、彼らはやっぱり別格なんですよねぇ。

特に、5thアルバム盤である『空の飛び方』までのスピッツの楽曲は、もう無条件で好きな訳です笑