引き続き6月15日の更新です。
現在の日付に追い付けそうで中々追い付けません笑


以前、1ムジクを書くにあたって拘っている所が二つある、という記事を書きました。
一つは『演奏技術の上手い下手には言及しない』というものでして、コレは上記の記事と併せて書いた訳ですが、今回は残ったもう一つの拘りを書いてみたいと思います。

端的に言うと、『好きな音を好きと言おう!』という事です。
コレだけ見るとなんのこっちゃですね笑

これは演奏技術云々の記事の時に書いた『そもそも上手いだの下手だのと言う根拠は何処にあるのか』という部分にも通じる所が有る…というか或る意味ではアンサー的部分となるのですが、俺、常々『音に貴賎は無い』と思ってるんですよね。
まぁ、音は音ですから、ホラ笑

『音楽』とは、『音を楽しむ』から音楽なのか、『楽しい音』だから音楽なのか、いや、そもそもそんな単純な意味では無いのか…その捉え方は人それぞれだと思います。あ、広辞苑とかに載ってる『音楽』は、此処では一旦置いておいて下さい笑

そして、俺の中では『音を楽しむ』から音楽なんですね。
常々、音自体には何の感情も無いと考えてまして、つまり…そこに感情を見いだすのは音では無く、あくまで音を聴いてる『存在』の主観的感覚なのではないだろうかと、そんな風に思う訳です。

ですから、そもそも音自体には貴賎は無く、屁の音だってピアノの音だって音な訳ですよ。
…音な訳ですけど、おい俺、幾ら例えだっつっても屁とか、おい俺…笑

そしてですね、1ムジクでは『楽曲』を紹介してる訳ですが、俺の中では綺麗なピアノの音色の曲も、深夜に外から聞こえてくる街の雑踏も、物凄く広義、物凄く広義な解釈で『楽曲』と括れるのです。
広辞苑に載ってる『楽曲』の意味も取り敢えず此処では一旦置いておいて下さい笑、少なくとも『俺は』そうなのです。…仮に、そうとしています(あ、ちょっと腰が引けた!←うるさいな)

だから、社会一般の偏見的な『綺麗、美しい、貴い』などに囚われずに、俺は、

『俺の好きだと思った楽曲を好きと言おうじゃないか!こんなのを好きだとか言ってる自分が恥ずかしい!とか、そんな事を思ってしまうお前自体が恥ずかしいだろう!アニメであろうがゲームであろうが童謡であろうが念仏だろうが、好きなら好きと言おうぜ!』

と、そんな事を考えながら1ムジクを書いているのです。

これが『好きな音を好きと言おう!』の、まぁ一つの側面ですね笑

実はもう一つ、意味する所が有りまして…前述と、もう一つの意味する所を併せて『1ムジクを書く上での拘り・その2』となるのです。

いやいや、3つじゃないんですよ!1+1は1、じゃないですが…ああ、取り敢えずは説明させて下さい!
今から書く事も、ちゃんと『好きな音を好きと言おう!』に着地すると思いますので!笑

これでも俺、様々な皆さんのお陰をもちまして30年は生きてきた訳ですよ。
そうすると、その折々で、ツレ等との話の中でだったり、この『1ムジク』みたいなのを書いたりとかした時にですよね、少なからず『パッと見、矛盾?』みたいな状況が発生する訳です。
好きだっつってたモノを嫌いって言ってみたり、またその逆も然り、凄く好きなモノが微妙になっていたり。

時系列で考えていけばですよ、それは全くもって矛盾でも何でもない…いわば、ただ『俺も変わったねぇ』的なアレですし、何より矛盾ってそういう事ではないんですけどもね。まぁ、分かり易いかなと思って敢えて矛盾という言葉をチョイスしてみました笑

それでもですよね、特にこういうブログやネットでの日記みたいに『形』で残してるとですよね、その性質上、全く異なる時間上の俺のそれぞれの『意見や嗜好』が、同時系列で参照出来てしまうじゃないですか。
そうしてそこに一見矛盾?っぽい『意見や嗜好』が有った場合に、自分自身が油断するとですよね、無理矢理に整合性をつけようとしてしまいがちになるんです。

帳尻を合わそうとしてしまう…というか、勿論古い方の意見を訂正する訳にはいきませんので、ついつい今の自分の『意見や嗜好』を捻じ曲げてしまいそうになる訳です笑

先にも述べた様に、頭では分かってるんですよ?
人間は心身ともに良くも悪くも変わりゆくモノなので、その都度都度で意見が違うなんて事は至極当たり前です。

ですが、こう、そこでボタンを掛け違えてしまうと、今の自分を否定してでも昔の自分に合せる、なんて凄く後先がおかしい状況に陥ってしまいそうな…少なからず、そういう部分も俺にはあるんですよね。卑怯、というか笑

だから、そうならない為にも、1ムジクでは特に、

『大昔でも一昔でも直後でも昔は昔、今の俺は次の瞬間に過去の俺!だからこそ、今好きな音を好きと言おうぜ!』

つまり、あっちでこう言ったけどこっちではこう言ってる…と見える様な、例えどんなに八方美人ぽく見える様な事であったとしても、

『好きな音を好きと言おう!』

と言う所に拘っている訳です。これがもう一つの側面です笑

1ムジクという形で音を紹介している以上、やはり純粋に好きだと思えるモノを此処で紹介していかないと嘘であると思うのですよね。
それはもう、純度は高ければ高いほど良い、そんな『好き』を打ち出していかないといけない…なんて、まぁ俺はそう考えるのです。

純度は高ければ高いほど良い…かと言って、究極、生まれたばかりの真っ白な状態で『好き』っていうのが純度MAX…かと言えばそうでも無く、それは『動物としての本能に基づく不安か安心かという切り口での音に対する反応』でしか無い訳で、最低限のフィルターとして『俺が俺として、これまで育ってきた環境や育まれてきた価値観』のみを通した『音を楽しむ=好き』の発信がしたい、その他の対外的な打算のようなモノは出来る限り排除したい、みたいな…拘りと言うか、これは寧ろ願望ですね笑

そんな訳で、ダラダラと締まりの無い稚拙な書き口で此処まで紹介してきましたが、今回の記事と以前の記事を併せまして、俺の1ムジクを書く上での2つの拘りで御座いました笑

勿論、重ね重ねではありますけれども、これが正論!とか言うつもりはさらさら無いですよ。さらさーてぃこっとんひゃくですよ。←?
あくまで俺の1ムジクでの切り口は此処、この二つの拘りの元に有りたいと言うだけの話であって、他意は有りません。

さて、それではお待ちかね(主に俺の中の別人格が『まだ終わらんのかよ…』と、うんざりしながらお待ちかね笑)、6月9日分の楽曲はこちらです。

akeboshi/wind

今回は『akeboshi』より、アニメNARUTO(だっけ?綴り)のEDテーマでもあった『wind』の紹介です。
何となくテレビ付けたらこの曲が流れてましてね、その足でマキシを買いに走りました。あ、勿論、車でですけど笑

実はこのアケボシという人、ただ単純に名字をローマ字表記にしただけの様です。
本名は明星嘉男というらしいですね。何と言うか、良い字使ってんなぁって思いました笑

因みに彼、1978年生まれでして、この世界で言う『黄金の世代』です。
俺も1978年生まれなのですが、残念ながら俺はその『黄金の世代』達の陰に隠れて、日の目を見ないまま今まで生きながらえてきました笑

それはそうと、彼は基本的にこの曲の様なフォーク基調のアイリッシュ・トラッドや、エレクトロニカ方面の曲が多いみたいですね。
多いみたい、というのも…実は俺、アケボシってこのウィンドという曲しか知らないんですよ笑

耳にした事は有るかも知れませんが、記憶には残っていませんね。
勿論、悪意ある『記憶に残っていない』では無く、ただ本当に記憶には無いだけです。
この曲の後に気になって試聴したアルバムがいまいちピンと来なかったとか、何かそんな理由でそのままになってるって感じだと思います笑

しかしながら、この曲は本当に好きですねぇ。
こういう物悲しい雰囲気の、低体温にただ訥々と奏でる感じ…堪りません。

甘い、辛い、しょっぱいみたいな大味の悲しさ、今日本で流行りの『至極分かり易い悲しいであろうと言う偏見でのみ演出された悲しさ』ではない、何とも繊細な物悲しさというか…何て言うんだろう、

『山に海にゆっくりと沈みゆく夕日がただ綺麗で、吹き抜ける一陣の風は厳しくも優しくて、雲の流れに時の移りゆく様を見て、ただ物悲しくて歌う』

…そういう音に聴こえるんですよね。人それぞれにある、他人には決して分からない物悲しさ。みたいな。うーん笑