はい、五日目です。記念すべき五日目です!まぁ、そんな今日も3/11略

今回は、ちょっとテンション落とし気味で行きます笑


低いんじゃないですよ?

あくまで落とし気味です。燃え方が違うだけです。要は、火炎放射機か溶鉱炉かの違いです。

Humbert Humbert/喪に服すとき

最近の日本って、『青春→恋人が不治の病→死に分かれる=超美しくてドラマティック!エクセレンツ!エクセレンツ!』なんて脳味噌お花畑級の低能大爆発映画が受けてるみたいですが笑、何て言うんだろうなぁ。

こうだったら泣くだろう、とかコレは感動するだろうみたいな計算のもとに作られたあからさまに嘘な『人と人の死に別れ』眺めてさ、美しいとか感動とかさ、何だそれ。んで、泣いてる奴らは上から目線。一々反吐が出る。

まぁ俺個人の好き嫌いは兎も角、娯楽としては大いに有りなんだとは思いますけどね笑

本当はそんなものじゃないんですよね、死に別れるって。少なくとも、美しくは無い。

あっけないってのとも全く違うんですけど、何かですね、んー、良くホラ、テレビ番組とかで間違い探しって有るじゃないですか。

パッと見まるっきり一緒に見える右の絵と左の絵、違いは何処でしょう?みたいの。

頑張って探すんだけど、中々違いは見つからない、見つからないんだけど何かが違うという事実だけは分かってる…そういう感じに近いのかな。

何か其処にあった筈のものが、無いといけない筈のものが、気付けば無くなってる。
良く目を凝らさないと分からないんだけど、何か絶対に足りないというとても歯がゆくてどうしようもない喪失感。何か良く分からないけど、ただただ泣ける。

いや勿論ね、現実には、頭では分かってるんですよ?足りない物が何かという事も、どうして足りないのかも。

分かっているけど、ついていけていないというか。脳味噌が壊れないように安全装置が働いている。
そもそも泣くって事も、つまりは安全装置なんだと思うんですよね。

で、そのまま時を重ねていくと、段々この曲みたいな心境になってくるんですよ笑

適当に『また巡り逢う日まで』なんて言い方で自分の心に折り合いつけて何とかやりくりするんです。
望みが無いとずーっと惨めで辛いままですから、自分で自分に『救い』を与えるんですね。
例えそれが『来世で、次の舞台で』なんてどう見ても逃げでしかない様な『救い』だったとしても、視点が一段上にあがって随分楽にはなる。

結局、その一連の流れには盛り上がりも無ければ、『ハイここからクライマックス!ハイ終わり!』なんて合図も無い。
太陽が昇って沈みました。ただそれだけの事。

てか、全然曲の紹介になってねぇや笑

あ、えーとですね、因みにここで挙げてる楽曲は原曲の別アレンジみたいです(と、さもとってつけたように書いて筆を置きます)