俺なりに"霊"というモノが一体どういうモノなのか、ちょっと想像してみたいと思います。


いや、想像というよりも妄想と言った方がニュアンスは近いかも知んない笑

ワンさんみたいに"正調"な人も居ればですね、普段の言動などから総合的に『糞胡散臭い、自分をただアピりたいが為だけの誇大表現?』としか思えない様な"自称"さんまでね笑、霊が見える人ってのは思ってたよりも沢山居る訳です。

でも、それが"何か"と言った所を突き詰めていくと、コレがイマイチね、どういった"存在"なのか…良く分からない側面が随分と有ります。
色々な人の話を聞けば聞く程ね、何とも良く分からない部分というか、ズバリ言うとその"有り様"が分からない。

現実として起こった"事例"への対処法を知っているという事とね、その正体を知っているという事は、つまり完全なイコールでは無いんでしょう。

ただ、こういう事に関しては、真に迫っている(少なくとも俺が、この人は話している"対象"に対して嘘はついていないなと思える)人であればある程、その"在り様"を問うた際の返答は言い切りの形を避けているように思えます。断定、断言を決してしないんですね。でも、だからこそ信じられる部分もまたあります。

コレに関しては俺の内の、さらに内にある部分の判断なのでね、俺自身も何故信じられるかは説明出来ないんですけど、まぁ簡単に言えば、"勘"です。その人の人となりに対する"野生の嗅覚"と言い換えても良いかもしれません笑

さて、そんな良く分からない"霊"というモノについて俺なりにちょっと考えてみよう、というのが今回のムジクのテーマな訳です。

ただし、此処をご覧の皆さんでどれだけの人がご存じかは知りませんが、これまでちょこちょこ俺が書いてきた"ソッチ系"の書きモノからも推し量れる通り、基本的に俺はことソッチ方面に関しては全くの凡夫…という言い方もおかしいかも知れませんが笑、兎に角ね、"この世ならざるもの"を見る事は出来ません。
そうして勿論、"そういった存在"に対する知識も、その知識の"正誤"関係無くね、どちらにしろ殆ど持ち合わせていないといっても過言ではありません。

ですからね、コレから書いてゆく事は想像よりも妄想に近い訳なんですね。それは言いかえれば小説や漫画などの設定を考える行為に近いのかもしれません。此処をご覧の皆さんも、"其処"を踏まえた上で読み進めて下さい。

そうしてね、最前提としてですね、まず"オマエ"と"オマエ"と"オマエ"は見るな。

決して歓迎されてるなんて臭っせぇ勘違いしてんじゃねぇぞ豚ども。はいブラウザ閉じた閉じた、与えられだけで与えようともしない家畜に気前よく施し与えてやる程には人間が出来ていませんもんでね。

ああ勿論勿論こっそり読む分には構いませんよ構いませんが"自分はきっと歓迎されていないのだろうなぁ"と後ろめたい気持ちに苛まされるのが好きなドマゾの豚なのでしょうね貴方は、ええ、ええ構いませんとも!どうぞご存分に豚だから仕方が無いですもんね自制なんて出来ないですもんね、そりゃ仕方がないですよね、さぁさ、どうぞ此方へ!メンタル自傷プレイを心行くまでお楽しみくださいな、この豚が。

…いやぁ、相変わらず走ってるなぁ俺!勃起しそうだ。
そんな俺ムジクが俺ムジクたるお約束の一文を添えた上でね、前置きを終わります笑

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♪男らしくて、光るぜカウボーイ
♪色も塗り掛けの、イカした構え

電気グルーヴ/ポケットカウボーイ

という訳で、今回のムジクは皆様ご存じ『電気グルーヴ』より、さくらももこ原作のアニメ『コジコジ』のEDテーマソングでもある『ポケット・カウボーイ』の紹介です。

電気グルーヴは富士山に続いてムジク二回目の登場ですね。多分笑
彼らの楽曲にもそれは様々な"型"が存在しておりますが、俺は特に"変に誇張されたサブカル日本"といった様な雰囲気を持った曲にヤられてしまう訳で、そういう見地からも常々、彼らは"(外国人から見た日本風、という意味で)正調ジャポネスク・テクノ"の筆頭で在る…のでは無いかと思っているのです笑

その数ある楽曲の中でも取り分けこの"ポケット・カウボーイ"は俺的に"YMO後から来い"位の勢いで世界に誇るジャポネスク・テクノな曲なので在りまして…あ、えーとですね、この辺はあくまで俺個人としての見識なので、そこは悪しからず宜しくお願い致しますよ?笑
何が世界に誇る程のジャポネスク・テクノなのだ?と問われますと、そうですね、歌詞が…とか、また曲調が…なんて、そんな断定的な狭義での意味では無く、その"在り様"というか、雰囲気というか。

敢えて説明してみると、

♪夜が明ければ、旅立つカウボーイ
♪月に照らされて、何かを想う
♪いつもの所が、寂しげカウボーイ
♪それでも明日の陽はまた昇る

この歌詞、すげぇ恰好良いと思うんですよね。でも、こういうの分かるっていうのが、それこそ"日本人が日本人たりえる美徳"っていうか。
でね、この歌詞を固める曲調はと言えば、低温でジリジリと焦がしてくるような、それこそ夜明け前の、太陽が昇るか昇らないか位の時間帯特有の"高揚感半端無い暗闇"の中に居る様な…これぞ"和テクノ骨頂"だとね、個人的には思う訳なんですよ。

思う訳、なんですが…。

まぁいつもの事ですけども、この曖昧さ具合から鑑みるに我ながら多分、明日には意見が変わっていてもおかしく無い部分での話みたいです笑

さて、先にも述べました通りこの曲はアニメ『コジコジ』のEDテーマソングな訳ですが、いや俺ね、もう本当にこのコジコジが大好きでして。
何が好きかって言うと、その世界観だったり、また登場人物ごとのキャラ立ちっぷりだったり、それはもう原稿用紙10枚ぐらいは書きだせるほど様々に理由が在るのですが、兎に角ですね、こう…何ていうか主人公であるコジコジキチガイっぷりがもうね、一等堪らない訳です笑

まぁコジコジ話は下手に始めちゃうとそれこそ収拾つかなくなりますので多くは語りませんが、今回のムジクのテーマである"霊"ね、或る意味ではこの世界観こそが俺の思う(寧ろ、想う)"その存在の在り様"に最も近かったりする…のかも知れません笑
そういう"連想ゲーム"からも、本日のムジクはこの曲の紹介なのです。

個人的にはコジコジの世界観、特にあの作品のEDとしてはコレ以上ない位のハマりっぷりだと思いますが故に笑

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前置きを書き終えた後より早一週間近く経つ訳ですが、ようやく続きを書いております。
はい、賢明な方はお分かりかも知れませんが、そうです、私こと亮はこの話題に付いて全く興味を失っておりましたスミマセンでした笑

さて、皆さん。
死ぬ瞬間って、主観的にどういう感じだと思いますか?
書いている俺は勿論、此処をご覧の人もまだご存命の方ばかりだと思われますので笑、当然ながら想像という形になる訳ですが、多分、"テレビの電源をオフにする感じ"ではないかと考えております。

テレビのリモコンで電源をオフにしました。プツン…と画面が消えた後、もう何も映りません。永遠に。
しかし、それを悲しむ事も憂う事も、いやそもそも"それ自体"を感じる事をすら出来ません。何故なら"感じるべき自分自身"の電源がオフになってしまったから。

死ぬって、主観的には多分この程度の事なんじゃないかと思うんですよね。何も無い状態、ですら無い訳です。

それは"虚無"ともまた違いまして、何て言うんでしょうか…そもそも、例えば"0"ってのは、数字数学上での概念として"0"な訳じゃないですか?
虚無をこのゼロや、また∞として表すにしても、どちらにしろ概念として在るか無しかってったら"在る"んですね。

比べて、俺の思う"主観的に捉えた上での死"というモノは、電源をオフにしたその瞬間に発生し、そして発生した瞬間に終わるモノなんです。それ以降は"死に続けている状態"、では無いと思うんです。
客観的に見れば勿論"死体"な訳ですが、その死体自体が何かと言えば、それはいわば"肉"でしかないのですね。
もう既に個としての"ヒト"では決して無いのです。

だから、主観的な観点で言えばヒトとしての自分は"その死"の時点で終わっている、つまりそれ以降はそもそもが"存在し得ない"モノなのではないのでしょうか。つまり、虚無にしろゼロにしろ、そういった"概念自体"が無いんですよ。
前述したように"何も無い状態"ですら無い訳ですが、しかしながら敢えて"それ"を言葉に言い表すとしたら、"何も無い"というのが、一番齟齬が無いのかもしれません。何も無い状態、ではないですよ?何も無い、んです笑

そうして俺はこういう話題の時にいつも考えるんですけど、もしも世界上の人間という人間が全て死滅したとしてですよね、霊は其処に存在するのでしょうか?存在"できる"のでしょうか?
逆説的に言うと、"霊"というモノは、それらを"認識するモノ"が居て初めて存在たりえるモノなのでは無いのだろうかとね、俺は思うのです。

※長くなり過ぎたので分割します。