2010-03-31 ハンバートハンバートとマチルダロドリゲス/幸福論Z


ぐわー、最終日は見ての通り目次と同じページに記事を書く事になるんですが、何て言うか、ややこしい!ややこしいぞ、はてな

もう少し単純に、同日でも2ページとか使い分けが出来たら良いのに。

他の日と較べても何か変に見出しが浮いちゃってイラッとしますね笑


というわけで、さぁとうとう3月最終の紹介曲はこちら!

ハンバートハンバートとマチルダロドリゲス/幸福論Z

林檎ちゃんの幸福論とどちらを紹介するかで随分悩みましたが、4月の下旬にハンバートハンバート高知県立美術館に来るので、祝!来高記念!(パチパチパチ)と言う訳でこちらを笑

まぁ、行くかどうかは微妙なんですけどね。行けるかどうか、と言った方が適当かも知れません。どうしょっかな。

さて、ハンバートハンバートとしては一風変わったギターロック調のこの曲ですが、それもその筈、本来はマチルダロドリゲスの曲みたいです。
そこにハンバートハンバートの佐野遊穂が歌を乗せてるって感じなのかな?
いや、この辺の事に関しては余りに情報が少なくて俺も良くは知らないんですけど笑

この曲の歌詞がハンバートハンバートのモノかどうかは確認してないのですが、そもそも彼らの楽曲って他のアーティストには余り見られない『独特の死生観』みたいなんが感じられるんですよね。
『喪に服すとき』なんかもそうなんですけど、まず『死=ネガティブ』では決して無い。

そこがね、理解も出来るし共感も出来る…気がするんですよ。個人的に。

勿論、ポジティブってのとも違うんでしょうけど、『しっかりと見つめて、許容している』というか…ただ在りのまま受け入れようとしている様に感じます。だから凄く死と距離が近いんだけど、事の他サラッとしているっていうか。インディアンやアイヌなんかの生死観に近いのかもしれない。

そういう所も踏まえて彼らの様々な楽曲を聴くに、今の日本の風潮っていうか、とにかく死を美化して描いたり、また対照的に必要以上に残酷に描いたりする『流行り』に対して、随分とシニカルな立ち位置に居る人達なんじゃないかなって思ってます笑

曲調だけで言うと、かなりフワフワな感じですけどね。

しっかりと聴いてみるとその『骨』は太いんですよ。

何て言うか、『開き直りの美学』みたいな男前気質を備えてる笑

こん人らの曲もまだまだ紹介して行きたいですね。

さて、で、この曲のイメージとしては、

死を自覚した。死期が見えた。人生の都度都度で良い事なんて一つも無かった、一つも無かった。
この歳になって、今の今までそう思っていたのだが…おかしなモノで、糞っ喰らえな走馬灯を眺めるに、笑えるような出来事ばかりだったじゃあないか。俺の人生。
そう思えただけでも幾分救われる。どうせ死ぬ為に生きるのが人生だ。天皇だって、法王だって、俺の様な人間ですら、そこは変わらないんだろう。
それに気付けただけでも儲けモノか。生きているうちに其処に気付けただけでも幸せだ。よし。まだだ、まだ、もう暫くは走って行ける。

…うーん。何か、ちょっと違うかなぁ笑
『とても潔くて気持ちいい死に花、散り際』っていうイメージなんですけど、上手く表現出来て無いですね。